ゴールデンウィークの目標

毎年テレビで流れる、ゴールデンウィークの渋滞のニュースを見て、「あぁ、ゴールデンウィークが来たんだな」と感じる。僕のゴールデンウィークの過ごし方は、ただ家でゴロゴロして終わるという生活で、毎年その生活を繰り返している。その事実に、たったさっき気づいた。(悔しい、もっと早く気付きたかった)過去の自分のだらしなさを感じると同時に、自分の成長を感じた。

今年のゴールデンウィークはこれまでのように無意味なものにするのではなく、生産的な連休にしたい!

しかし、生産的な連休になるかの自信はあまりない。なぜなら、最近YouTubeを見たい欲求がひどいのでサボってしまう未来が簡単に想像できるからだ。だが、こうやって多くの人に目標を宣言することにより、自分を奮い立たせて目標実現に近づくことができるはずである。

目標が実現されるかは自分次第である。YouTubeを見たい自分との勝負、つまり我慢比べである。そう思うとやる気がほんのちょっぴり出た。

 

夜という新世界

今日は友達とゲーセンに遊びに行った。僕達はメダルゲームにあまりにも夢中になってしまって、5時を大幅に過ぎた時間で解散することになった。

 

僕はバスで帰ることにした。夜のバスは「本当にあった怖い話」の舞台のような不気味さを感じさせ、どこか大正レトロな雰囲気を持っていて、妙に居心地が良かった。そこから見えた夜の景色は僕に衝撃を与えるには十分だった。

暗闇に眩しく光るLEDの鮮やかな光、見慣れたはずの建物が見せる夜の姿、無数に輝く星達、これらの絶景は昼の世界では絶対に見られない。どれも僕に驚きをくれた。絶景というものは、実は身近に転がっているのかもしれない。

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今回の夜についての話とは全然関係ないですけど、一面同じ花が咲いていて、とても綺麗でした。

夜の写真もあげようかなと思ったりもしたんですけど、撮った写真の中に映り込んじゃいけないのが映り込んだら怖いなと考えて辞めました。

謙虚に生きたいな

謙虚な人はカッコいい。こう思ったのは、宮沢賢治の「雨にも負けず」を久々に読んだときだった。僕もこんな人になりたい!と人生の道しるべを見つけたような驚きと気付きがあった。

「雨にも負けず」のような、決して偉そうにせず、自分の努力を周りに見られなくても、努力に努力を重ねる、他人の幸せを陰ながらに願う、そんな控えめで慎ましい人に今僕は憧れている。

例えば、学校の先生。誰が見ても一番頭が良いのに、謙遜ばっかりしていて他の先生を褒める数学の先生。転校しちゃったクラスメイトも同じ感じだった。一時の感情に身を任せたり、暴言を使うなんてことは絶対に無かった。いつも相手を傷つけないように注意したり、誰に対しても丁寧な人だった。


「そういう者に私はなりたい」

自信がついた日

今日はとても嬉しいことがあったんです!

実は僕、筋トレをしてるんです。体をカッコよくしたい、女の子にモテたい、自信をつけたい、そんな理由で始めたんです。やり続けて段々と好きになっちゃって、かれこれ7ヶ月経つんです!

そのやり続けた結果が今日現れたんですよ!学校で着替える時に、クラスメイトが僕の体を見て

「え!?良い筋肉してんね〜✨」

と言ったんです。それがめっちゃ嬉しくて、これまでは、自分の体は一般人と遜色ないレベルだと思っていたんです。

褒められたことが僕にとって嬉しくて嬉しくて(*´ω`*)気のせいかもしれないですが、クラスの中での僕は意外にも受け入れられていることに気付きました。それもまた、めちゃくちゃ嬉しいんです!

ここ最近憂鬱な日々が続いていたので、今はとても幸せな気分で一杯です(≧∇≦)b

登校中に見つけたんです、綺麗だと思いませんか?

自分の人生を生きるという自覚と責任

最近先生方がよく口にするのが、

「もう大人になるという自覚を持て」

という言葉。いつまでも子供の気分で甘えているのではなく、自分の行動一つ一つに責任を感じろ。と、そんな思いがのった言葉が「もうそういう時期」になったことを切実に僕に言い放つ。

いつか自分は大人になる

そんなことは分かっていた。当たり前に分かっていた。急激に伸びる身長、芽生える自我、段々と大人っぽくなっていく顔、性への興味、それら全ては自分が大人に近づいてる動かぬ証拠だった。直視なんて出来ない、したくなんかない。

だけど、時間は待ってくれない。いつまでも立ち止まってる訳にはいかない。歩を進めなきゃいけない。歩を進める勇気を持たなければいけない。

たぶん僕は今、人生の分岐点にいるんだろうなぁ

他人の目を気にする一日

今日は学校に行ってきた

学校の中での僕は「ありのままの自分」を押し殺し、他人の注目を浴びるのを極度に恐れてひっそりと過ごしている。

なぜかといえば、理由は簡単で「傷つきたくない」これに尽きる。友達から嫌われたらどうしよう、悪口を言われたら嫌だな、他人から好かれたい、という思いが頭にこびりついている。

そんな思いが学校に行けば途端に溢れるものだから、僕は学校が嫌いだ。もちろん、この不安がただの自意識過剰によるものなのは頭では分かっているのだけど、どうにも体が動かない。

これは、サボり癖とよく似ている。頭では何をすべきか分かっているのに、体が動かない。どんなに願っても体が動いてくれない。この矛盾がとても気持ち悪くって取っ払いたいと意気込んでもなぜか次の日にはサボっている。そんな気持ち悪さが学校には存在する、とっても辛い。

月が綺麗ですね

嫌な現実から逃げた一日について

今日は代替え休日だった。学校がある平日では出来ないようなことを今日はやってやるぞ!と意気込んでいたのに、YouTubeを見て怠けてしまい、昼までの時間が溶けてしまった。(超悔しい)

そんな自分に嫌気がさし、憂鬱になっていた時、突然課題に手を付けていないことに気付いてしまい、心に大ダメージを負ってしまった。その時「もうどうにでもなれ」と何もかもが嫌になってしまった。

自分はこんな時、後先考えず自転車でとても遠い見知らぬ土地まで行き、気分をリフレッシュすることが習慣となっている。

自転車でさっそうと駆け抜ける瞬間はとても気持ちが良い。今日は快晴ということもあり天気が綺麗だった。見知らぬ土地は僕に少しばかりの興奮と冒険者になったかのような気分をくれる。

しかし、嫌な現実からそう簡単に逃げきれる訳でもなく、ネガティブな感情が僕の頭をよぎっていく。最近ずっとこんな感じだ。好きなことをしていても、どうしても他のことが気になってしまい好きなことに集中できなくなってしまう。多分疲れてるんだろうなぁ。